2016年は人を信じられる最後の年だったのかもしれない。
少し前のこと。
googleが毎年、年の瀬にアップする「Year In Search」という動画が好きでよく見る。
1年の間にどんな言葉が検索されたかを振り返る1分半程度のムービーになっている。
例えば4年前の2013年。
翌年にノーベル平和賞を受賞することになるマララ・ユスフザイさんらが印象的。
3年前の2104年。
日本とも縁が深いDJ、Porter RobinsonのDivinityという曲に乗せて、エボラ熱やアイスバケツチャレンジなどのトピックが登場。
一昨年、2015年。
数年にわたり、一貫して描かれているセクシャルマイノリティ、いわゆるLGTBが世間に受け入れられ始めた、歴史的な年だった。
こんな風にその年に人類が直面した問題と、それに立ち向かう人たちの姿を描いた作品になっている。
単純に勇気をもらえるし、世界は少なくとも良い方向に進んでいるんだなと思えた。
でも、去年は違った。
トランプがやって来て、イギリスがEUを離脱した。そしてテロ。
セクシャルマイノリティたちの戦いは終わっていないのに、トピックにさえならなかった。
そして、「Love is out there」という、すべてのファンダメンタルに立ち返るまとめ。一転して物悲しいメロディとともに、愛がなければ何も進まないことを突きつけられた。
2016年は、人を信じられる最後の年だったのかもしれない。
ソ連が崩壊してから、世界は年々、相互に理解し合えてきて、良くなっているんだって、僕ら平成世代は信じていたはずなんだけど、それが少しずつ後退していく。
僕たちは幸せだ、人類2000年の歴史の中で、人を1番信じることができる時代に生まれてこれて。
でもそれも去年で終わったんだろう。
たとえジョーカーを引かなくても、トランプというゲームに参加している限り。